職場や学校に「ダメな人」っていませんか?
ちょっと言葉が強いかもしれませんが、例えば…
- 遅刻常習者
- ミスばかりする人
- 不潔で周りに不快感を与える人
- 約束を守らない人
- 嘘ばかりつく人
私の中では「周りに迷惑をかける人」が、いわゆる”ダメな人”の定義かなって思います。
多様性という考え方
令和の時代、「多様性」って言葉がよく聞かれますよね。平成、昭和に比べると、同調圧力も弱まって、排他的な雰囲気も少なくなってきた気がします。
これって単に「いい時代になった」というより、「正解」と言われているものが、必ずしも万人にとっていいとは限らないって、みんなが気づき始めたからかもしれません。
「ダメな人」がいないと困る?
例えば、職場でよくある光景
- 誰かが仕事をサボる
- 周りの人がその分の仕事を引き受ける
- 不満が出る
…っていう流れ。でも、ちょっと考えてみてください。
もし全員が完璧な人だったら?
- 仕事は真面目
- 人間性も高い
- 清潔感があって見た目も整っている
- 成績優秀で信頼も厚い
…こんな人ばっかりだったら、むしろ生きづらくないですか?
「2対6対2の法則」という考え方
ここで紹介したいのが「2対6対2の法則」(パレートの法則の応用)です。
これは組織やグループにおいて
- 上位2割:優秀で積極的な人
- 中間6割:普通に仕事をこなす人
- 下位2割:あまり貢献できない人
という比率で分布するという考え方です。
面白いのは、下位2割の人がいなくなっても、また新たな「下位2割」が生まれるという点。つまり、これって相対的なもので、絶対的な基準ではないんです。
具体例で考えてみる
野球選手が全員大谷翔平だったら?
→ もう野球やめたくなりません?
アイドルグループのように、全員が完璧な見た目だったら?
→ 自信持てなくなりそう…
東大を卒業できるような頭脳を全員が持ってたら→劣等感でてきますよね?
バランスの中の必要な存在
誰かに不満を感じた時、こう考えてみるのはどうでしょう。
「この人も、社会全体のバランスの中で必要な存在なのかも」
だって考えてみてください
「もしこの人が超優秀だったら、自分は選ばれないかもしれない」
完璧な人ばかりの世界って、実はすごく生きづらいんじゃないかな。
「盗人にも五分の理」という言葉もある
これは「悪い事をする人にも、それなりの理由がある」という意味の諺です。最近では、例えば闇バイトで犯罪に巻き込まれるケースなども…。
もちろん、犯罪は減って欲しいし、直接的な被害が出るような行為には適切な対処が必要です。でも、その人の置かれた状況や背景にも、何かしらの事情があるかもしれないということです。
おわりに
もちろん、これは「ダメな行動」を肯定する話ではありません。でも、そういう人がいることで、世の中のバランスが保たれている面もあるのかもしれません。
そう考えると、ある意味では「ありがとう」って言えるかもしれませんね。
なんて、ちょっと意外な視点から「感謝」について考えてみました。皆さんはどう思いますか?
(※この記事は、あくまでも一つの考え方として読んでいただければと思います。もちろん、迷惑行為や犯罪を推奨するものではありません)
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