人間の価値とは?

価値観

人生を考えるきっかけとなった、ある会話

先日、警備の仕事場で71歳の先輩と話をしていた時のこと。「人間の価値」という、ちょっと重たいテーマの話になりました。

先輩が言うには、「人の価値は葬式の時に分かる」のだそう。つまり、最期の時にどれだけの人が見送りに来てくれるか、それが人としての価値を表すんだ、という考え方でした。

正直、その言葉を聞いた時、なんだか胸の中でモヤモヤっとした気持ちが広がったんです。

人間に「価値」って必要なの?

考えてみれば、私って今まで「人間の価値」なんて真面目に考えたことがありませんでした。そもそも、人間に価値なんて必要あるのかな?って思うんです。

例えば、陸上選手が100メートルを9秒台で走ったら、人間界では「すごい!」って言われますよね。でも動物界に目を向けると?そりゃもう、確実に「鈍足」の部類です。鳩だって時速150キロで飛べちゃうんですから。

人間の価値って、結局のところ「人間界」の中だけの話。人間以外から見たらどうでもいいことばかり。もちろん人間に産まれて人間界に生きて支え合って生きてくうえで、人間としての価値というのは必要なのかもしれませんが、

生きているだけでいいんじゃないかな。そんなふうに思えてきました。

価値観は、場所が変われば変わる

このことは、私の経験からもよく分かります。

以前、営業マンとして働いていた頃。そこでは売上の高い人が「価値のある人材」として重宝されていました。「数字は人格」なんて言葉を、身をもって感じた日々でした。

でも不思議なもので、会社や職種が変われば、その価値観もガラッと変わるんです。資格を持っている人が重宝されたり、単純に「土日祝日に働ける人」が求められたり。

セミリタイアという選択

セミリタイアについて考えることが増えました。

昔の私なら「セミリタイア=ドロップアウト」みたいなイメージを持っていたかもしれません。でも今は違います。自分の時間を確保して、人や会社に依存しない生き方を目指すための選択肢。そんな風に考えられるようになってきました。

私の目指す生き方

他人の評価を気にしすぎず、でも自分を大切にして、後悔のない人生を送りたい。

ちょっと突飛な例えかもしれませんが、私の理想は『北斗の拳』のラオウのような生き方。自分の信じる道を貫いて、最期にはすがすがしく人生を締めくくれたらいいなって思います。

おわりに

結局のところ、「人間の価値」って答えのない問いなのかもしれません。でも、そんなことを考えるきっかけをくれた先輩との会話は、私にとって大切な思い出になりました。

これからも、「価値がある人間になろう」って必死になるんじゃなくて、ただ素直に、自分らしく生きていけたらいいなって思います。

…そうそう、犯罪や迷惑行為はダメですよ。それだけは絶対に(笑)

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コメント

  1. こうい より:

    正誤、善悪、美醜などすべての価値は統治がしやすいように作られた物で時代によっても場所によってもバラバラである。たとえそれらが同じでも人によって180度違うことも珍しくない。
    自分が価値だと思った物を大切にするとともに、違うと思った物も完全否定しないくらいにしないとまずそうだな。

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